Loading...
孔子生誕 2018-12-29T06:42:53+00:00

中国古代の五大聖人、孔子、孟子、顔子、曾子、子思は、済寧エリアで生誕した。省の南西部、京杭運河沿いに位置する。泰山の南70キロ、車で一時間ほどのところに曲阜の街がある。紀元前11世紀の西周時代に始まり、長い歴史をもつ魯の国の都、孔子の故郷である。

孔子は3歳で父を失い、母に連れられて尼山に近い昌平郷から曲阜に移った。苦学のすえ20歳で会計士の職につき、五十歳で司寇(法務大臣)まで進んだが、自分の政治的見解が取り入れられなかったので辞任、弟子を連れて諸国を歴遊、治国の道を説いて周った。やがて魯に戻り、教育と『詩経』『書経』など古典の整理に全力を集中、没した。孔子逝去の後、弟子たちが孔子の言行を『論語』として編集した。

代表都市

曲阜

孔子の生まれ故郷である。春秋戦国の時代、曲阜には魯の国の都が置かれた。34代900年以上続いた都城は、周王朝の侯国の中でもとりわけ長い存続年数を誇っている。「曲阜」という地名はずっと後の時代、隋の596年につけられている。ちなみに「阜」とは「丘」を意味する。
曲阜には「三孔」という孔家の遺跡がある。孔廟、孔府、孔林の三つである。孔廟は孔子の神霊を祀り、孔府は歴代衍聖公の住居、そして孔林は孔家の嫡流に与えられた名称で、それは王族に等しい地位・待遇を意味していた。

曲阜とその近郊には、ほかに孟子廟(孟子を祀る)、梁公林(孔子の両親と兄・孟皮の墓)、顔廟(孔子の弟子、顔回を祀る)、周公廟(周の武王の弟、姫旦を祀る)、少昊陵(三皇五帝のなかの少昊の墓)などの史跡がある。

済寧

済寧市は文化的観光資源が豊富である。曲阜の孔廟、孔府および孔林と京杭大運河はユネスコに登録されている。
歴史文化は悠久で、東夷文化、華夏文明、儒家文化、水滸文化、運河文化発祥の地として重要な位置を占めている。また、儒家創始者の至聖孔子、亜聖孟子、復聖顔回、歴史家左丘明もこの地で産まれた。特筆すべきは京杭大運河の役割であり、元明清時代、京杭大運河が済寧の経済発展を促し、現在の済寧は国内有数の商業都市となっている。

見どころ

三孔明故城(三孔)観光地

孔廟、孔府、孔林、合わせて「三孔」と呼ぶ。1994年、ユネスコの世界文化遺産として登録された。

孔廟

魯国の哀公が孔子がなくなった翌年(紀元前478年)に孔子を祀るために建てたもの。当時は3部屋だけであったが、明清時代に増築が繰り返され、南北1キロ、総面積2万平方メートル、部屋数466となった。北京の紫禁城、泰山の岱廟とともに中国三大宮殿建築の一つとされている。

孔府

孔府は衍聖公府とも呼ばれる孔子の嫡子が暮らしてきた邸宅。創建後何度も拡張されたため、現在敷地内には460もの部屋がある。東華大街に面した白い壁の孔府大門をくぐり、孔府前に進むと現れるのが重光門。大堂は孔府の主人である衍聖公が勅命を受けたり、官吏と接見した建物。最も奥には奇石や竹林、曲がり橋を配置した中国式庭園の花園がある。

孔林

孔林は、孔子をはじめとする孔家歴代の墓所であり、世界で最も長く続いている一族の墓地。万古長春坊は孔林に向かう参道の途中にある。明の万暦22年(1594)の創建。孔子の孫で『中庸』の著者として有名な孔伋の墓がある。

尼山孔廟および書院景勝地

『史記・孔子世家』によると、孔子の母はここで孔子が無事生まれてくるようにお祈りをしたと言われている。建築群は尼山孔廟と尼山書院を含む。尼山孔廟は五代後周顕徳年間(954〜960年、顕徳は五代最後の王朝、後周において用いられた元号)に、孔子生誕の地を記念して建てられた。

夫子洞

曲阜から車で30分ほど南東へ走ったところにある。小さな木がまばらに生えているだけの、なだらかな山で、高さ340メートルという。その山のすそに尼山孔子廟がある。夫子洞は、廟が建っている崖下の、小さな洞穴をいう。砂城の堆積岩に囲まれた洞穴で、孔子は生まれたと伝えられる。『史記』孔子世家に、母の徴在は、「尼やまの山に祈って孔子を得た」とあり、『史記正義』には、徴在は空桑の地で孔子を生んだ、魯の南山の空谷にあって「水が涸れている」とある。それがこの洞穴だといわれている。

孔子六芸城

景勝池は孔子六芸城(六芸文化体験区)と孔子の故郷園(民俗展示区)の二つのエリアから構成され、観光、リゾート、ショッピング、リクリエーション、グルメを中心とした、鑑賞・参加型の娯楽センターとなっている。

孔子文化園

孔子文化園は『論語』、書画、石碑に彫りつけた文字や図画によって知識や情報が伝えられ、古典庭園によって環境保全を啓蒙する新しいタイプの文化観光地となっている。

鄒城孟廟、孟府観光地

孟廟、亜聖廟(儒教では孔子に次ぐ重要な人物、亜は中国語で「第二位」のという意味)とも呼ばれる。孟廟は南北に長い長方形で、五進の門をもち、殿宇は64間あり、敷地面積は4万平方メートルを超える。
孟府は孟廟の西側に位置し、北宋末期に建てられた。現在、残存しているものの中で最も大きく保存状態も良い。役所と邸宅が一つになった古代建築群である。

曾廟景勝地

曾廟は嘉祥県城南から15キロ南にある武山に位置する。またの名を曾子廟、宗聖廟とも呼び、代々孔子の弟子たちが孔子の霊を祀った専用廟宇(祖先や貴人の霊を祭る建物)のことで、中国でも有名な古代建築群の一つである。

曲阜顔廟景勝地

曲阜顔廟景勝区は曲阜市区の北部陋巷街に位置する。別称「復聖廟」。『陋巷誌』の記録によると、顔廟は漢の高祖劉邦が東方を巡り孔子を祀った際に建てられたものである。以後、唐、宋、元、清、各時代でしばしば修復、拡張工事が行われ、現在の面積は85亩(1/15ヘクタール)、殿、亭、門、坊合わせて159間、五進の門をもつ古代建築群である。

グルメ

甕肉干飯

甏肉干饭 [bèng ròu gānfàn]

甕肉干飯は済寧地方の伝統的な料理である。起源は元朝と言われる。京杭大運河が開通したことで、南方の米が北方に運ばれるようになった。その頃から、甕と呼ばれる器に肉と米を一緒に美しく盛り付けて食べるようになり、特別な趣があった。甕は陶製で、真ん中の部分が少し膨らんだ、深さのある食器のことである。その甕の上に調理した肉を並べることから、甕肉と呼ばれるようになった。世の中の変化とともに、揚げロール、生麩(なまふ)、肉団子、卵が追加されるなど、甕肉干飯のかたちは変化し続け、年月を重ねて今のようになった。現在も多くの人々に愛され、済寧屈指のご当地グルメと言える。

孔府料理

孔府菜 [kǒng fǔ cài]

孔府料理は中国飲食文化の重要な構成要素の一つである。その起源は宋仁宗宝元年に遡る。貴賓の接待、赴任、誕生日、冠婚葬祭などで出されることが多い。孔府宴席は君臣、父子の等級によって、出される料理が異なる。孔府は歴代の封建王朝の中で特殊な地位を維持保全してきたので、乾隆帝時代の役人のための料理とされた。孔府料理は大別して二種類に分けられる。一つは宴会料理、もう一つは家庭料理である。宴会料理と家庭料理は、時によって、内容が重複するが、調理方法は異なる。孔府料理は、皮や骨を傷つけたりせず、火力、味付け、造形などに工夫があるため、難度が高い。孔府料理の代表として「焼ケツギョ」「ローストダック」「子豚のまる焼き」「一品豆腐」「アヒルの寿スープ」などが挙げられる。孔府料理は2015年、世界無形文化遺産に正式に登録された。

済寧糊粥

济宁糊粥 [jìníng hú zhōu]

糊粥は、微山から済寧に至る運河両岸で流行し、数百年の歴史を持つ、有名な運河飲食文化の一つである。口に入れると米と豆の香りが広がる。胃にもやさしい。消化を助け、疲労回復の効果もある。

浮かぶ魚肉団子スープ

漂汤鱼丸 [piào tāng yú wán]

魚団子スープは微山湖の伝統料理である。一般的な魚団子はスープの下に沈むが、微山湖の魚団子スープはその全部が表面に浮かぶため、漂湯魚肉団子(魚団子が漂うスープ)と呼ばれるようになった。白色のコクレン(花鲢鱼-別名:太っちょ頭)を材料とする。身体にしみ込む味で、消化も良い。団子が表面に漂うのが最大の特徴である。

済寧ひき割りスープ

济宁糁汤 [jìníng sǎn tāng]

ひき割りスープは、別名「肉粥」と呼ばれる。山東、河南、江蘇、安徽地方の境界線付近で流行した一般家庭の朝ごはん。中華風揚げパン、揚げ餅、蒸し餃子と一緒に食べる。一椀の中に数種類の肉と数種類の薬味が入り、味はまろやか。熱くて辛くて香よく、冬に食べると身体を温めてくれる。味は言うまでもなく、栄養価も豊富。リュウマチの苦痛を和らげたり、咳止めの効果もある。

山東省の天気

おみやげ

曲阜三宝

曲阜には三つの宝がある。碑帖(石刻)、楷雕(楷木で作った工芸品)、尼山硯。碑帖は石碑に字を彫り刻み、紙と墨で版画のように写す工芸品である。その方法は、史料と書道芸術として保存されており、模写、研究、鑑賞に役立っている。楷雕は楷木に彫刻を施して作る工芸品で、1000年以上の歴史がある。尼山硯石は石質がよく、触り心地もよい。特徴的なのはみかん色であることと、不均等の青黒色の模様である。孔子が誕生した尼山の地名から、尼山硯と命名された。

ホテル

自分にあったホテルを探してみよう

曲阜のホテルを探す
済寧のホテルを探す