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感じる 2018-12-31T16:43:33+00:00

悠久の歴史を持つ山東省にお越しの際は、「歴史の息吹」も、ぜひ感じてみてください。

まずはじめに「曲阜」をご紹介します。曲阜には「三孔」という孔家の遺跡があります。「三孔」とは、孔廟、孔府、孔林の三つを指します。孔廟は孔子の神霊を祀り、孔府は歴代衍聖公の住居、そして孔林は孔家の嫡流に与えられた名称で、それは王族に等しい地位・待遇を意味しています。

孔子は3歳で父を失い、母に連れられて尼山に近い昌平郷から曲阜に移りました。苦学のすえ20歳で会計士の職につき、五十歳で司寇(法務大臣)まで進みましたが、自分の政治的見解が取り入れられなかったため辞任、弟子を連れて諸国を歴遊、治国の道を説いて周りました。やがて魯に戻り、教育と『詩経』『書経』など古典の整理に全力を集中させました。孔子逝去の後、弟子たちが孔子の言行を『論語』として編集しました。

『論語と算盤』渋沢栄一でも有名な『論語』を世に送り出した孔子の生まれ故郷を訪れ、古人(いにしえびと)の「思想」と「佇まい」を、心ゆくまで堪能してみるのも、旅の醍醐味ではないでしょうか。

孔廟

孔府

孔林

次にご紹介するのが、「徐福伝説」です。初めて中国を統一した秦の始皇帝は、泰山に巡行した際(紀元前220年)、琅琊台で方士の徐福から「海中に三つの神山があり、そこに仙人が住んでいる。童子童女とともにこの地に出かけ、新薬を求めたい」との申し出を受け、3000人の青年と兵、武器を渡しました(『史記』秦始皇本記による)。出港は膠州県の徐山、もしくは諸城県の徐山だとされています。この記述が正しければ、華僑第一号はいまから2100年も前に、山東から日本にやって来たことになります。

徐福が実際に日本に渡ったかどうかは、実は確かな文献がなく、未だ「歴史の謎」となっていますが、「徐福伝説」に関する評論、小説、漫画は日本でも多く出版されています。人は「不確かなこと」にロマンを感じるのかもしれません。2000年以上前から連綿と続く「中国と日本の関係性」について思いを馳せてみると、そこに「良好な未来の日中関係」を築くためのヒントが見つかるかもしれません。

最後に、「淄博」をご紹介します。淄博は青島魯国(今の山東省)に位置します。東部臨淄は800年以上の歴史をもつ斉国の首都でした。斉文化発祥の地、国家歴史文化都市。清代の重要な商業都市、中国古代シルクロードのスタート地点の一つです。

北部には美しい湖と河、南部には魯山と原山国家森林公園そして数十キロにわたって続く鍾乳洞があり、中部には清代の文学者『聊斎志異』を書いた蒲松齢の故郷、西部の周村は、近年有名な中国ドラマ『旱碼頭』のロケ地でもあります。陶磁器の都としても有名で、五大陶磁器都市の一つとされ、高級陶磁器、彫刻磁器、内画(ガラス・めのうなど透明な器物の内側に描いた絵)などの工芸美術品も秀逸です。

出土遺物の質がとても高く、斉の春秋時代から漢代までの重要文物を集中展示している「斉国歴史博物館」、殉馬百頭以上の全身骨が一糸乱れず整然と並んでいる「斉景公殉馬坑」、2000年前、斉時代の殉車馬坑を中心とした車の博物館「淄博古車博物館」、古(いにしえ)をおもわせる商業建築博物群「周村古商城」は必見です。

中国悠久の歴史を、曲阜、琅琊台、淄博、斉の首都で感じとってみて下さい。